2018年10月08日

京都・東山花灯路


京都・東山花灯路
(毎年3月中旬)

http://www.youtube.com/watch?v=qgfwK41aW48


京都・東山花灯路
京都・東山花灯路(ひがしやまはなとうろ)は、3月中旬に京都の東山山麓の青蓮院から清水寺に至る約4.6キロの小路に京都の伝統工芸である清水焼、北山杉、京銘竹、石工、金属などで作られた約2400基の行灯を点し、夜の散策を楽しむ趣向の、早春を告げる観光イベントである。
比較的、観光客の多い日中と異なり、夜の京都は地元や宿泊客などの一部に知られるものの、寺社のほとんどは拝観時間の制限もあり、繁華街を除けば東山周辺の小路などが散策の対象になることは少なかった。2003年から始まった当イベントは、わずか10日間ほどではあるが、夜の京都の情緒や雰囲気を味わえるイベントとして定着し、毎年100万人以上の人出で賑わっている。
北は神宮道から青蓮院に始まり、知恩院、円山公園、八坂神社、神幸道などを経由し、大雲院祇園閣を眺め圓徳院、高台寺、ねねの道、一年坂、二年坂から清水寺までの行路の足元を仄かに照らすさまざまな行灯や催し物を見ながら歩く人々の群れで、早春の東山はしばし賑わい、幻想的な色合いに包まれる。

京都・嵐山花灯路(毎年12月中旬)
京都・嵐山花灯路(あらしやまはなとうろう)は、12月中旬に京都府の嵯峨、嵐山周辺地区に約2500基の行灯を点し、夜の散策を楽しむ趣向の2005年12月から始められた「灯り」をテーマとする観光イベントである。
嵐山から嵯峨一帯にかけて広がる歴史的、文化的景観を活かし多数の路地行灯や生け花の花をあしらうことで華やぎと陰翳を付与、日本情緒を演出することで京都の夜の新たな風物詩となることを目指し、冬季の観光客を呼び込むべく始められた観光イベントである。道の総延長距離は約5km。

夜の汐留散歩 Shiodome night walk
汐留(しおどめ)は、東京都港区の地区名・旧町名。現在ではおもに、汐留地区に建設された巨大複合都市“汐留シオサイト(siosite)”を指す。
汐留の地は江戸時代以前は海辺の湿地帯であったが、江戸幕府の開幕後徳川家康が発令し、三代将軍家光の代に至るまで続いた「天下普請」(諸大名の財力を用いた、奉仕による城下町建設事業)により汐留の埋立地が完成した。その結果、汐留は周辺の新橋・銀座・築地などと並び、大名屋敷を有する武家屋敷街となった。
その後、明治新政府によって屋敷は接収され、1872年(明治5年)日本初の鉄道が横浜との間に開設された際、起点となる新橋駅がこの汐留に建設され、東京の玄関として華やかで活気のある街となった。しかし、1914年(大正3年)に東京駅が完成し、東海道本線の起点が、新橋駅から東京駅に変更されたため、新橋駅は貨物専用駅に変更された。それからの汐留は、小運送店の集まる貨物ターミナルとして栄えることになる。
1980年頃から貨物列車輸送に代わってトラック輸送が増えたため、1986年(昭和61年)に汐留貨物駅が廃止された。その後しばらくの間、31ヘクタールにも及ぶ日本国有鉄道清算事業団からなる『広大な空き地』が手付かずのまま残っていたが、1995年(平成7年)になってようやく、東京都の都市基盤整備と民間のプロジェクトにより、都市再開発が始まった。
2004年(平成16年)には、13棟の超高層オフィスビルが建ち並び、4つのホテルや数多くのレストラン、ショップなどが地下通路とペデストリアンデッキでつながる6万人の複合都市として生まれ変わった。東側には浜離宮恩賜庭園をはさんで東京湾、西側は新橋駅から虎ノ門・神谷町・霞ヶ関の官庁街があり、銀座・築地・臨海副都心にも近く恰好のビジネスロケーションといえる。
現在は六本木ヒルズやお台場と並び、東京の新しい観光名所の一つとなっている。

夜の東京駅散歩 Tokyo station night walk
東京駅
東京の表玄関とも言うべきターミナル駅で、特に東海道新幹線と東北新幹線の起点となっており、全国の新幹線網における最大の拠点となっている。また、東海道本線や東北本線など主要幹線の起点駅でもある。当駅から乗り換えなしで実に32都道府県と結んでおり、1日当たりの列車発着本数は約3000本という日本を代表するターミナル駅の一つである。プラットホームの数は日本一多く、在来線が地上5面10線と地下4面8線の合計9面18線、新幹線が地上5面10線、地下鉄は地下1面2線を有しており、面積は東京ドーム約3.6個分に相当する。赤レンガ造りの丸の内口駅舎は辰野金吾らが設計したもので、1914年に竣工、2003年に国の重要文化財に指定されている。「関東の駅百選」認定駅でもある。
JRの駅に乗り入れている路線は、正式な路線名称上は、新幹線が東海道新幹線と東北新幹線の2路線、在来線が東海道本線・東北本線・総武本線・京葉線の4路線であり、東海道本線を当駅の在来線における所属線としている。管轄会社は東海道新幹線がJR東海、東北新幹線がJR東日本となっている。これら各路線はすべて当駅を起点としており、当駅構内にはこれら各線の0キロポストが設置されている。ただし旅客案内では後述の運転系統名称が使用される。案内上の「東北(本)線」は長・中距離列車を意味し、それらはかつて上野駅発着であったため、当駅では用いられていなかった。現在は上野東京ラインが開業し、特に東海道新幹線における車内放送の乗り換え案内を中心に使われるようになった。なお中央本線についてもかつては当駅が正式な起点であったが、当駅 - 神田間における東北本線との二重戸籍区間を解消するため、JRへの移行に伴い中央本線は神田駅が起点とされた。ただし、現在でも0キロポストは設置されている。
運転系統では、JR東日本の新幹線ホームには、以下の路線の列車が乗り入れている。
東北新幹線
上越新幹線:大宮駅から東北新幹線に乗り入れている。
北陸新幹線:高崎駅 - 大宮駅間は上越新幹線に、大宮駅からは東北新幹線に乗り入れている。
北海道新幹線:新青森駅から東北新幹線に乗り入れている。
山形新幹線:新庄駅 - 福島駅間は奥羽本線を走行し、福島駅から東北新幹線に乗り入れている。
秋田新幹線:秋田駅 - 大曲駅間は奥羽本線を、大曲駅 - 盛岡駅間は田沢湖線をそれぞれ走行し、盛岡駅から東北新幹線に乗り入れている。

東京夜景 お台場・湾岸エリア Tokyo Night view at Wangan area
お台場・湾岸エリア
お台場(おだいば)は、東京港埋立第13号地に属する東京都港区台場、品川区東八潮、江東区青海のうち青海南ふ頭公園以北から成るエリアである。
広義では東京港埋立第13号地全体を指し、さらには同埋立第10号地をも加えて東京臨海副都心地区を指す。
1853年(嘉永6年)、ペリー艦隊が来航して幕府に開国要求を迫る。これに脅威を感じた幕府は、江戸の直接防衛のために海防の建議書を提出した伊豆韮山代官の江川英龍に命じて、洋式の海上砲台を建設させた。品川沖に11基ないし12基の台場を一定の間隔で築造する計画であった。工事は急ピッチで進められ、およそ8か月の工期で1854年にペリーが2度目の来航をするまでに砲台の一部は完成し、品川台場(品海砲台)と呼ばれた。お台場という呼び方は、幕府に敬意を払って台場に「御」をつけ、御台場と称したことが由来である 。
東京都は、都心の混雑を緩和するため、東京臨海副都心として臨海部の開発を進めた。レインボーブリッジの建設や世界都市博覧会の開催予定により、企業進出が誘致された。
沿岸地域にはカモメが生息し、水上バス発着所に良く見られる。多くの面積が公園になっていて、樹木が多い公園 では野鳥が散見される。またお台場海浜公園には「釣りエリア」が設けられており、ハゼ、シーバス(スズキ)、クロダイ、コノシロなど一般になじみの深い種類が多く見られる。2004年には上海ガニが見つかっている。
お台場は昭和時代に潮干狩りのために蜆がたくさん放された。そのため現在お台場付近の海岸は潮干狩りができる隠れたスポットである。

東京八重洲の夜景 Tokyo Yaesu night view
八重洲(やえす)は、東京都中央区の地名で、一丁目は日本橋地域内、二丁目は京橋地域内である。または東京駅八重洲口一帯を指すエリア名である。
東京駅の東側に位置し、東京駅では西側の出口(皇居方面)を「丸の内口」、東側の出口(日本橋方面)を「八重洲口」と称することから、駅西側一帯を「丸の内」、東側一帯を「八重洲」と通称している。ただし、東京駅の駅舎、プラットフォーム等の施設はすべて千代田区丸の内一丁目に位置し、千代田区丸の内と中央区八重洲の境界は、東京駅八重洲口駅前よりもやや東にある。
元々の「八重洲」は現在の丸の内に相当する地域のうち、丸ビルと三菱ビルの間に存在する通りの南側を指す地名であった。ヤン=ヨーステンの屋敷も内堀沿いに存在した。「丸の内」は北側の永楽町と併せて江戸城の外濠の内側を指すこれらの上位的な地理的概念として存在した。
外堀通りの東側に位置する現在の「八重洲」は外堀のさらに外側(東側)にあることになる。しかし、歴史の項で示すとおり、「八重洲」は歴史的には外堀の内側、現在の千代田区丸の内に存在した地域である。
八重洲の地名は、ここに住んでいたオランダ人ヤン・ヨーステンの和名「耶楊子(やようす)」に由来する。彼は、江戸時代に日本に漂着し、後に徳川家康の国際情勢顧問や通訳として活躍し、家康からこの地に邸を与えられた。

posted by 日本の景勝地 at 23:29| 日本の景勝地